中学生の時は、クラス合唱を「強要」されていました。
音楽の授業での合唱だけでなく、
毎日のホームルームで合唱、
週1回くらいの学級活動の時間に合唱…
音楽室は争奪戦で、
室外へ出て大きな声で歌いなさいと、
音楽委員の生徒から指導されることもありました。
そんな中でも1年生の時のクラスの雰囲気は異常でした。
何かに洗脳されたかのように、それ合唱だ、やれ合唱だ。
その音楽委員というのがめちゃくちゃ張り切っていたのです。
クラスに1人は必ずいるピアノの弾ける生徒ですが、
担当していたのは、クラスで一番背の低い女子生徒でした。
難しい楽曲を小さな手で必死に弾いていたのでしょうね。
そんな姿を見る余裕なんてありません。
「指揮者を見なさい」と指導されているからです。
音楽委員やピアニストや学級委員が活躍したおかげか、
私のクラスは合唱コンクール学年1位に表彰されました。
やー、おめでたい…
さて、その異常な雰囲気の中、私は公開処刑に遭います。
音楽委員で指揮者でもあった女子生徒が、反省会などで
「Ohno くんは表情がこわい」と言っていたのです。
いや、ちょっとまってくださいよ。
私だって一生懸命に声出して歌ってますよ。
そもそもへらへら笑いながら歌えますか?
アイドルじゃないんだから…
私の40分の1人の努力は、全く評価されませんでした。
当時は中学生くらいの年齢が反抗期だと授業でも習い、
実際に私は反抗的な気分でした。
しかしながら、そんな屈辱を受けても、
教室から飛び出してそのまま帰宅するとか、そんなことを思いつかず、
ただ音楽委員や学級委員や担任の
説教じみた言葉を聞かされるがままでした。
ところで、私が中学1年生の担任は、
その年に結婚なさいました。
クラスでは評価されていなかった私ですが、
学年主任のせんせーからはなぜか認められていました。
担任が結婚することを知らされた直後、
私は学年主任から、
お祝いの寄せ書きを書くための紙を、
デザインを考えて切ってきてください、と頼まれたのです。
鳥が羽ばたいているような形の付箋みたいなものになりました。
嫌われていた私が作ったリーフに、1人1枚ずつクラス全員がお祝いの言葉を書き、
それを貼り付けて二つ折りにしたメッセージカードが贈られたのです。
皮肉なもんです。
一方で私を評価してくださっていた学年主任のせんせーを、
私は嫌ってましたけどね。授業の際のお説教がくどくて。
そんなふうにお祝いした、担任のせんせーは、
その年度で中学校を去り、別の小学校へ転任されました。
中学校ではなくて小学校でした。
反抗的だった私を指導するのに、さぞかしお疲れだったんでしょう。
せんせーに伝えたいです。
私が反抗的だったのは、学級委員や音楽委員に
公開処刑を受けていじめられたからです。
それは先生も目の当たりにされていましたよね。
私が一生懸命だったところは評価されず、とても寂しかったです。